頭痛と憂鬱と
ここしばらく前向きに生活できてたのだけど、疲れや台風との距離感、季節の移ろいでしっかり心身の調子が狂ってきている。
自分の体のサイクルなのか、一気に色々頑張れる時期と泥のようになってしまって何もできない時期がある。仕事とか、本当に必要なことに関してはなんとかできるけど。
この間ひどい頭痛があってから、なんだかずっと体が重い。そしてそれにつられて心までどんより。
なんとなく、自分の頭痛のことを振り返りたくなったので書いてみる。
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中学生のころあたりから、ひどい頭痛で休むことがあって。もともと頭痛持ちだから滅多に休んだりしなかったけど、吐いたり泣いたりして何も手につかないからどうしようもなく。頭痛薬も効かないので目を瞑って横になって、頭が和らぐのを待つ。
その時は頭痛外来とか脳神経外科とか、そう言う専門のところの存在を知らず、内科に行ったらゲームなんて普段そんなにしないのに「ゲームばっかやってたんでしょ、眼精疲労じゃないですか」と言われ、眼科に行けば「目に異常はないから片頭痛だと思いますよ」と言われた。
年に1、2回のことだけど何回か繰り返しているうちに、頭痛が来る前に予兆があることに気づいた。視界の一部が欠損するのだ。
個人的に近いかなー、と思うのは明るいところから急に暗いところに移動した時に見えるカラフルな残像みたいなあれ。
あれにちょっとラメ感を足したような輝きが視界に現れて、次第に大きくなって消える。その後に殴られてるみたいな痛みと猛烈な気持ち悪さに襲われる。
ネットで調べたらあの輝きは「閃輝暗点」と言うそう。片頭痛の症状のひとつらしい。
どうも頭痛薬は閃輝暗点が出ているうちに飲むのが良いとのことで、だから効かなかったのかと納得した。けれど、その後しばらく閃輝暗点が現れることはなかった。
大学生のとき、友人とランチの約束をしていて、約束の時間の少し前に閃輝暗点が現れた。
「あの時仕入れた知識を今こそ!」と思い、ロキソニンを服薬。安心した気持ちで外へ。
結果、全然効かず。せっかく行ったインドカレー店でうずくまってお手洗いで嘔吐。頼んだ食べ物は全部テイクアウトさせてもらった。
おそらくインド人であろう店員さんに「どうしたの?」と聞かれたのが今でも印象に残っている。
たまにあることだし、とそのまま解散しようとしたら、友人が病院に連れて行ってくれることに。その頃には頭痛外来の存在も認知していたので、お言葉に甘えて連れて行ってもらった。
病院の前でもゲエゲエ吐いて、ただの頭痛なのに車椅子に乗せてもらった。
診察してもらうころにはすっかり頭痛も和らいで、なんなら食べられなかったカレーを食べたいくらいの気持ちだった。
ただ、なんとかなるものならなんとかしたいのでちゃんと診てもらった。
「症状を聞く限り片頭痛だと思うけど、一応CTをとりましょう」と言われ、初めてCT検査をした。うっかりちょっとワクワクした。
先生の言う通りなんともなく、「綺麗な脳みそですね!」とお褒めの言葉をいただいた。
「やっぱり片頭痛ですね、若い人は多いんですよ。歳をとるに連れて回数は減っていくと思いますよ」と言われてかなり安心した。
「ネットで調べて、閃輝暗点のタイミングでロキソニンを飲んだけど全然効かなかったんです」と話したら、「飲むタイミングは間違ってないけど、ロキソニンは弱すぎる」とのことだった。市販薬でどうにかできるもんではないらしい。
片頭痛に特化した鎮痛剤を5錠処方してもらい、帰宅。手持ちが全然ない上、これまで病院と無縁の生活だったから保険証も持ち歩いていなくて診察代がかなり高額だったんだけど、連れてきてくれた友人が建て替えてくれた。しかも帰りに「頭痛が良くなったお祝いに」とラーメンをおごってくれた。もちろんお金は後日ちゃんと返してお礼も何回も言ったけど、今でも感謝している。
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その後、先生の言う通り数年にわたり閃輝暗点もひどい頭痛もなく、ロキソニンやバファリンでほとんど対処できるようなものばかりで、結局処方薬は処分してしまった。
2年前くらいに久しぶりに閃輝暗点。そして頭痛。仕事を休んでぐったり。薬もないけど片頭痛と分かっているので病院には行かなかった。
でも、確かに年に1、2回だったはずの頻度がかなり減っているからこのまま無くなるのかなー、なんて思っていた。
けど今年9月。立て続けにきた。しかも2回。
親族に脳出血とかそういう病気の人が数人いるので、こんな頻度だともしかして他の病気?と思って再度病院へ。
数年前と同じようにCT検査、加えて首の骨のレントゲンも撮影。結果はどこも異常なしで、片頭痛とのこと。片頭痛で安心する日がこようとは…。
親も私があまりに痛がるから脳の病気でないか、なんなら私より心配していたのでめちゃくちゃ安心してた。良かったー。
原因は食べ物や空腹、睡眠不足、仮眠、ストレス、ストレスからの解放など、いろいろな原因があるらしい。
私の場合は、寝不足、ストレス、ストレスからの解放が原因なことが多い気がする。
生活を見直すところから始めたらいいのかなあ。
片頭痛のせいなのかなんなのか、あれからずっと心身が重だるい感じ。
この間の頭痛で朝飲んだ豆乳甘酒を戻したのがちょっとトラウマになってるのか、しばらく毎日は飲めなさそうだ。
SNSとか見てもぼんやり考え事をしても、本当に些細なことがきっかけでネガティブな感情の沼に引き摺り込まれる。
どうも、台風前後で同じような症状を訴える人が多かったらしい。だからきっと、しんどいのは私だけじゃないのだろう。
この間ヘルシー宣言をした身としてはなんだか悔しい気もする。
まあでも無理に元気になろうとは思わないので(というかそれは多分無理だし足掻くだけ無駄なので)、一旦いらないこととはなるべく距離を置いてゆっくり、自分のペースで健康な心身を取り戻そうと思う。
目指せ、ヘルシーな女。
「ヘルシーな女はこんな時間にブログ書いてないよ!」と思った人へ。私も同感です。
ヘルシーな人の美しさに目覚めた最近。
自然なのに華やかで、ほどよく人間らしさがある。そういう雰囲気、めちゃくちゃ憧れる。
うまく言語化できないのがもどかしいんだけど、作り込まれてる感が少なくて、もともとある美しさとか良さとかを引き出しつつ、コンプレックスとかも活かすみたいな…? 違う気がしてきたな。
とにかく、憧れるわけです。唯一無二感があって良い。
ここからはただの持論だけど、きっとヘルシーな人は生活もヘルシー。
早寝早起きで、野菜中心の食生活、適度に運動も心がけるけどたまにはハメを外す、そして後日調整、みたいな。
前回のブログで書いた“丁寧な暮らし”に通ずるものがある、気がする。やっぱそういうの好きなのね。
一方で私、ヘルシーの対極にいるような人間。
夜更かしは当たり前、朝に弱く、運動も苦手なのになぜか食べ物だけはよく食べる。
学生時代はともかく、社会人になってからは運動をめっきりしなくなった。気が向いたらするけど、続かない。体育の大切さをここにきて痛感したりした。
今日みたいなヘルシーへの目覚めは今まで何度もあった。ヘルシー以外にも、時にはお人形さんのような美しさだったり、人を寄せ付けないダークでクールな雰囲気だったり。いつも自分ではない何かに憧れては何かを試して続かない、を繰り返していた。
ただ、今回はいろんな機会が重なったことで、いつもとは違う種類のやる気が湧いている。
一つは、ふつうに自分の不健康さとか継続できない性質に危機感を抱き始めたこと。
先日ちょっとプチ旅行に行った際は宿のお母さんが作る料理が美味しすぎてご飯を3杯も食べてしまった。そしてその後も気持ちセーブしているとはいえ、もともと生野菜苦手、脂質大好き人間なのでラーメンとかハイカロリーなパンとかお肉とか食べまくった。
そして帰宅の時間が基本的に遅いので夜ご飯も後ろにずれていく一方。当然運動なんかするはずもなく、下手すると入浴もままならないまま寝てしまうみたいな日々で、当然ながら体重が増えた。あと諸々のストレスも相まって胃腸の調子がめちゃくちゃ悪くなった。
もともとない体力がさらになくなり、昔から老後が心配ではあったんだけどさらに心配になって、いよいよしっかりしなければならない、と思い始めたわけだ。
二つめは、ダイエット成功者との出会い。
ずっと「ダイエットのために毎日自宅で筋トレをしている」と話していた知人とランチをした際に、「今も筋トレしているのか」と尋ねてみると、「してるけど、週1回に減らした。目標達成できたから今は維持のためにしてる感じ」との返答が。
今までダイエット中の人はたくさん会ってきたけど、その後成功したかどうかとか詳しく聞いたことがなかったので、普通に感動した。
ランチでも野菜とか栄養に気をつけて食べ物選んでる感じがあって、なんて素敵なんだろうと…ちなみに私はその隣でがっつりハイカロリーなものを平らげていた。
具体的に目標達成のためにどれくらいの期間がかかったのか聞いたら、約2年とのこと。
2年もなにかを継続するって純粋にすごくない…!?
その話を聞いてから、やっぱりダイエットって長い目で見なきゃいけないなー、と思えるようになった。今までのダイエット、ほんとに数日の間だけ激しく運動して、「全然効果が出ない…」って思うことがすごく多かったんだけど、焦りすぎだったんだなって。
ゆっくり、少しずつ憧れに近づこうと思えたすごくいい機会だった。
あとは周期的にやる気がみなぎる期間だったことと、ちょうど夏なこともあってシンプル・カジュアル・かわいいをかねそなえた“ヘルシー”への関心が高まったことなどなど、とにかくいろんなことが重なって、今、めちゃくちゃやる気があるわけ。
色んなことをいっぺんに試して、1つできなくなったら全てやめてしまうのが私の悪いところなので、今回は少しずつ習慣化していくことにした。といっても初めてまだ1週間くらいなんだけれど。いつも数日ももたないことを考えればなかなかいい調子だ。
具体的に何してるかというと、①毎朝豆乳甘酒を飲む ②起きたらベッドでピラティスやる ③毎日湯船に浸かる、の3点。一応、食事もなるべく野菜を意識的にとるようにはしている。
①豆乳甘酒
ヘルシーな女はとにかく肌が綺麗(偏見)。あとヘルシー言うだけあって体も丈夫なはず…というわけで“飲む点滴”とも呼ばれる甘酒を飲もうと思ったのが始まり。
甘酒は米麹から作られるものと酒麹から作られるものがあるけど、米麹のやつを飲んでる。これが、お米の甘さで別にまずくはないのだけど、個人的に米の味がする液体に対して脳がバグってしまって美味しく飲めないのがネックだった。
Twitterで米麹甘酒のことを色々調べたら、「豆乳で割ると美味しい」という情報があったのでやってみたら、これがなかなか良かった。
甘酒の米の甘味と豆乳のミルキーな味わいで結構腹持ちしそうなので、朝ごはんがわりに飲んでる。これは甘酒だけ飲んでたときを含めて半月くらい続けてるけど、心なしか膝のカサつきとかが気になりにくくなった、気がする。
運動の何がネックって、マットレスを敷くのが面倒なこと。あと今部屋が最高に散らかっていてそもそも場所がとれないこと。
あと体力なさすぎてたまにSNSでバズった運動をやっては筋肉痛でやめちゃうとかそういうことも多々あり。
半ば諦め気味だった時にInstagramでベッドの上でできるピラティスのリールをあげてる人がいて、YouTubeにも動画を上げてるとのことで見てみたら、きついなりにできそう!
しかも、「朝やるだけ」というキャッチフレーズにも心惹かれた。夜だと帰る時間が日によってまちまちで続けづらかったんだけど、朝ベッドでできるならその心配もない。10分くらいだから
とりあえず1週間、毎朝試してみた。余裕がある時は夜寝る前にストレッチも。腹筋とか脚は筋肉痛になったりしたけど、動くのが辛いほどではなくて普通に続けられた。感動…!
心なしか代謝が良くなった気がする、風通しの良い涼しい部屋でじっとスマホ触ってるだけでも玉のような汗。しかもサラサラしてて臭わん。なんか少し健康に近づいた気がする。
体調的に辛い日も無理なく取り入れられるよう工夫しつつ今後も続けてみたい。
③湯船に浸かる
もともとお風呂自体はかなり好き。なんか自分を丁寧に扱えてる感があるので。
でも、とにかく面倒くさがりで、後回しグセがあったため、シャワーで済ませたり朝シャンしたりすることがしょっちゅうだった。
今回このやる気に任せてなんとか毎日湯船に。なんでもっと早くしなかったのかって思うくらい楽。よく眠れるし朝の準備に余裕ができた…。ただ、入浴が遅い時間になるので必然的に寝るのも遅くなるのはなんとかしたい。
以上、私のヘルシーへの歩み。
たかだか1週間続けただけでブログにするのは正直気がひけるんだけど、書くことで辞めづらい雰囲気を自分に課したい。
あと、ブログも習慣化したいからね。
きっとどうしてもできない日とかあるんだろうけど、めげずに続けたいなー。
もし、読んでくれている人の中で何かを継続したい人がいれば、一緒に頑張りましょう。ではまた!
できれば丁寧に生きたい。
今のところ全然できてないんだけど、それはさておき。
珍しくブログを更新したい気持ちと実行できるだけの体力がそろった。
この週末は久しぶりに何も予定がない2日間だ。
先週は仲の良い人たちと遊ぶ予定が続いた上に、仕事でのミスが休日中に発覚して対応に追われるなど、体力がない私にとっては散々なものだった。
どれだけ仲が良くても人と会うのに体力を消耗するほうなので、何にも予定がない休みってすごい嬉しいんだけど。
もともとの性格もそうなんだけど、最近の体調だったり仕事だったり周辺の環境の変化だったり、諸々の影響でここしばらく気分が落ち込んでいる。
何もない日って落ち込むループに入って嫌な気分になって終わる危険性がかなりある。
今日の場合、「平日やりたいと思っていたけど体力などなどの都合でできなかったことをやろう!」という気持ちで休日を迎えたのだけど、まあ結果的に何もできなくて自己嫌悪とか将来への不安とかでかなり凹んだ。
自分を追い詰めるのが無意識に癖になっている気がする。
何かあったとき人のせいにすると怒りがわいてくるし、怒ってる自分があまり好きではないので、自分のせいにすることで怒りを収めてるんだけど、その延長かも。
直したいけどすぐには無理だろうし、受け入れていかないとな、と思っている。
落ち込むことの内容は大体「思った通りにいかない」「欲しいものが手に入らない」「楽しくない」とかそんなこと。
何かを手に入れることにすごく執着している。自覚はある。
手に入れて満足はするけどすぐ他のものが欲しくなって出費がかさむ。
本当に欲しいかどうかが買わないと分からないんだけど、「お金がない状態」もかなり苦手なので「とりあえず全部買わない」になって苦しむ。
多分あんまり買い物が上手じゃない。
で、今は落ち込むところまで落ち込んで逆にちょっと元気っていうか、開き直ってきた。
「大きめの出費(歯列矯正とか)を少しずつ払っているから今はちょっとお金ないけど、それが終わればもうちょっと余裕できるはず」「やりたかったことはできなかったけど、お出かけもできたしダラダラする時間も悪くないな」「来週遠出する用事があるし、楽しみあるじゃん」など。
言い聞かせてるだけな気もするけど、でもずっと落ち込んでるよりはいい。
そして自分的にイマイチだった1日を取り戻すべく、今は部屋を少し片づけたり、こうやってブログを書いたりしている。
いつかは予定を立ててそれをゆっくりこなして楽しむような、いわゆる「丁寧に暮らす」をやってみたい。
丁寧に暮らせるようになってから今日のこの日記を見て「めちゃくちゃバカだったな~」って笑えたらいいなぁ。
眠いけど寝たくはない夜
絶対寝ないと明日しんどいって分かっていても眠りたくない日ってある。
才能の有無やうまい下手はともかく、文章を書く仕事をしていて、行為自体はすごく好きなのだけれど推敲に疲れてきたので今日はただつらつらと近況を垂れ流してみたり。
1年ほど前に更新した前回の記事で「80%の維持って難しい」とか言ってたけど、気づいたら毎日自分的には120%くらいで仕事をして20%取りこぼすみたいな有様だ。
なにせ体力も精神力もないので、家に帰ったらコンビニなどで買ったご飯を食べて疲れて寝るみたいな毎日を送っている。
「やらなければならないこと」だけをこなす毎日はすごくつまらないので、自分の好きなことややりたいことに時間を費やしたいけど、体力が足りない。
筋トレなどをしようと思えば、今度は継続ができないときた。
ブログも、更新していない1年間で何回も「書こう」と思ったけど実現せず、今やっと自宅のパソコンの電源を入れるところまでこぎつけたわけだ。
スイッチを押すだけ、それすら面倒って相当だなと呆れることもしばしば。
でも書かなければならない文章を考えているときは無性に自分の近況を文章にしてみたい気持ちになる。天邪鬼!
文章を書く、ということに関してはデジタル・アナログ問わず好き。かつ、文房具が好きなので、毎年10月・1月・4月の手帳シーズンのどこかで手帳を買うのだけど、ちゃんと続けられたためしがない。
一方で、自分の記憶がどんどん無くなっていることにも最近気づいてきた。
それがどうしても耐えられなくて、でも多分アナログで書けるスペースが決まっていると「こんなに書くことないな」とか「書ききれないな」とか、出来事そのものよりもページの構成のことを考えてしまいそう…ということで際限なく(?)書けるデジタルを選んでみた次第。
とはいえブログはオープンな場なのであんまり個人的なことは書けないんだけど。
最近、自分が思っている以上に自分が「気にしい」だなと思った。
うすうす思ってはいたけど、想像以上かもしれない。
「というか逆にみんな気にしなさすぎじゃない?」と思わなくもないけど、神経質で人に厳しい自覚はあるので気を付けている。
気にしつつ、気にしている感を他人に感じさせず、おおらかな人間に憧れる。精進すべし。
つらつらと書いたらまとまりがない文章になった。そして眠い。
今日はさすがにもう寝ます。
人に言いづらいけど悩んでいることがいっぱいあって、気を抜くとずっと考え事をしてしまうので、そういう時にまた何か書いてみよう。おやすみなさい。
歯列矯正と8割の話
おはようまたはこんにちはまたはこんばんは。韮です。
ぼんやり書きたいことは考えてたんですがやっぱり気づいたらこんなに時が経っておりました。
特にこれといったことはしていないけど忙しなく生きているみたい。
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ずっと気になっていた歯並びを治すべく、歯列矯正を始めてみた。
思っていたほど痛くないけど、装置をつけて数日は全然ものが食べられない。
個人的にそうめんがかなり食べやすい、というか噛まずに飲み込みやすい(本当はよくないけれども)。超助かった。
お煎餅とか固いものが食べられないのが地味につらい…。
あと、1回カレー食べたら歯がびっくりするほど黄色くなったからしばらく食べられなさそう。これもつらい。
実は、矯正始めるときに「いろいろ食べられなくなるしちょっとは痩せるだろうな~!」なんて思ったりもしていたんですが、私は痛くても結構無理して食べる人間だということを発見しました。
先ほど言ったみたいにそうめんをなんとか飲んだり、あとプリンとかヨーグルトとか柔らかいものを見つけては食べ。
柔らかいもの、思っていたより甘いものが多く…結局体重に関しては変わらないどころかちょっとプラスなのではというレベルに達しました。無念。
でも、矯正する前以上に「噛むことの大切さ」を認識できたので良いとしましょう。
割と始めたてでまだあまり目に見える変化はないんだけど、今後が楽しみ。
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以前の記事で「人間8割が大事」という話をしていて、同じ話を他の人にしたら
「それは確かにいいかもしれないけど100%とかちょっとキャパ以上の力で働いていくうちにその80%でできることが増えるんだし、多少の無理も大事だよ」
というお言葉をいただき。そうかもしれないけど、そのために100%以上の力で働く必要はないかな、と思ってしまった。
別に90%で働いても80%の範囲は広げられるし、詰め込んで私生活の余裕をつぶしたり結局仕事に押しつぶされて辞めちゃったりされるよりはいいんじゃないですかね。私が幼いだけかもしれない。
そもそも私生活に余裕が無いのに耐えられなさそう。
とかなんとか言いつつ、80%の維持というのは普通に難しいです。
時々?余裕のない日もあったり楽しいばかりではない毎日ですが、無事私の80%は成長しているようです。できることが少しずつでも増えていて、素直にうれしい。
しかし、仕事と自分、両方を大事にするってまあまあ難しいなー。
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ブログとかの場合、敬語とタメ口が混ざった文体がなんとなく好きで使ってるんだけど統一するか迷っている。
そもそも統一とかいうほど更新をしていないけど…。
今回は話題が変わるたびに区切る記号を入れてみたりして。文体も記事の体裁もこれからいろいろ試してみます。
それでは、また気が向いたら書きます。韮でした~。
レベル上げな毎日
気づいたらこのブログを開設してから5年、そして記事を書かなくなってからおよそ2年が経過していました。
名前をSNSなどとそろえて「韮」に変更しました。
すみれと似ていますがにらです。改めてよろしくね。
ここ数か月内で再び「ブログみたいに自分のことを何か発信したい」という気持ちになったので久しぶりにこうして文章を書いています。
冒頭で記事を書かなくなってからおよそ2年が経過…と書いていたんですが、昔の記事たちは非公開設定にすることにしました。
今までだったら確実に削除する方を選んだだろうな~と思いつつ、最近は多少恥ずかしさとかがあっても残しておこうかなと思えるようになってきていたり。
基本的に「今の自分が一番いい状態の自分だ」という認識を持っていますが、一番いい状態になるまでに考えたこととか体験したことが全部いらないわけでもないし、間違いだったとしてもその記録からその時の自分を思い出せるっていうのは悪いことではないし、なにより他人と接するときに活かされたりするんじゃないかな、とか…
というわけで本当に必要ないな、となるまでは残しておこうと思います。
断捨離も大事なんでいつかは捨てる気がするけど。
そして私自身の近況やらなんやら。
気づいたら社会人になっていました。まだまだひよっこですが、少しずつできることが増えたりして楽しくなったり、自分の無力さにがっかりしたりと忙しいです。
もともと私は忙しい状況が超苦手で、やることが立て込むと何も手につかなくなるというか。
そんな性格だからか、なんでも8割が好きなんですよね。
家電と人間は一緒で、8割が一番パフォーマンスがいいと思っています。
ただ、社会人としていろいろ仕事をこなしていく中で、自分の「8割」が少しずつ大きくなっている感じがしていて、それが最近の結構大きめの発見です。
今の8割は以前だったら10割だったし、たぶん将来の私からしたら今の8割は5割くらいかも。
無理に仕事を詰め込みすぎない、8割がベストという考えは今でもしっかり持っていますが、その8割でできることが増えていくことが、私の成長なんだな~などと。
働くまでは思いもしなかったので、ちょっと驚いたし面白いと思った。
ほかの人からしたら当たり前かもしれないけど…
というわけで日々容量を増やすためにいろいろ頑張っております。
それでも8割以上無理につめこまないように気を付けつつ。
それなりの期間生きてきて、無理をしないということを最近ようやくつかめた気がしています。